ビキニ事件を知っていますか?東京都江東区夢の島「都立第五福竜丸展示館」には、忘れてはならない水爆ブラボー実験の被災船と記録が展示されている!
  • 学び
  • ✎IRIEP事務局
  • 2022/02/07

間もなく3月1日「3・1ビキニデー」を迎える。マグロ漁船第五福竜丸が米国の水爆ブラボーの実験に巻き込まれ被曝した日だ。1954年、昭和29年3月1日米国はビキニ環礁で水爆ブラボーの核実験を行った。「3・1ビキニデー」は広島、長崎と同じく忘れてはならない日であるのはもちろんのこと、マーシャル諸島の多くの住人も被曝した日であることも忘れてはならない日である。その日は、水爆ブラボー実験を含むすべての核実験を思い起こす日として、核犠牲者追悼の日「Nuclear Victims Remembrance Day」として公休日に指定されている。

米国がビキニ環礁とエニウェトク環礁で核実験を行ったのは67回、水爆ブラボーは12回目であった。人の暮らしはもとより、環境破壊、生態系破壊、地球規模の放射性物質汚染は甚大となった。

2021年10月31日の日曜日「都立第五福竜丸展示館」を初めて訪れた。展示館に行くきっかけ与えてくれたのは環境活動家の武本匡弘氏である。午後2時過ぎ、東京メトロ有楽町線新木場駅を降りて、環境問題に関心の高い方たちと一緒に武本氏に先導され展示館へ向かった。


展示館に入ると第五福竜丸の大きな船体がすぐそこにあり、圧倒された。そびえるように第五福竜丸の船尾が舵を下にして現れた。第五福竜丸は、展示館にすっぽり収まるように展示されていて、船の周りを一周でき、備え付けの階段を上がると甲板も見ることもできる。

第五福竜丸 全長25.2メートル 幅5.7メートル

第五福竜丸は、ビキニ海域で米軍の水爆ブラボー実験により、船、船員、獲った魚もろとも大量の放射線を浴びた。1997年までに被曝が原因で亡くなった乗組員は11名。最初に亡くなった久保山愛吉さん40歳は、急性放射能症だったとのことだ。

展示されている死の灰

この日は、武本匡弘氏と島田興生氏の写真展が開かれており、武本氏によるギャラリートークが行われた。67年前、水爆によって多くのサンゴが熱線と爆風で吹き飛び、死の灰となって降ってきた。

展示館の学芸員さんから、久保山さんの死、核兵器禁止への署名活動、そしてマーシャル諸島の人々の悲劇といまも続く苦痛を教えてもらった。

元乗組員の大石又七さんは2021年3月7日に亡くなられた。彼が書いた本『ビキニ事件の真実』を展示館で購入し、読んだ。事件の背景、事件に対する日本政府の無責任な対応に憤りをおぼえた。彼の活動、残したもの、功績はとても大きいと思った。核兵器の恐ろしさ、放射線のもたらす多くの悲劇について、展示館に足を運び、見て、聞いて、知って欲しいと思った。

第五福竜丸は木で作られており、歴史的で学術的・技術的に価値のある船として「ふね遺産」第25号に登録された。

❖ ビキニ事件に関する書籍・情報誌の一部 ❖

[ 福竜丸だより ]

【参照サイト】都立第五福竜丸展示館
【参照サイト】日本船舶海洋工学会 第4回ふね遺産認定のお知らせ