アル・ゴア著書『EARTH IN THE BALANCE』の日本語版『地球の掟-文明と環境のバランスを求めて-』の制作と出版を振り返って
  • 地球温暖化
  • ✎IRIEP 小杉 隆
  • 2021/12/28

1989年東西冷戦終結の後、これからの人類の脅威は何か?が問われ、環境問題が浮上した。ゴルバチョフ(ソ連書記長)、レーガン(米国大領領)、サッチャー(英国首相)らソ連、欧米首脳が唱えだした。そこで、日米、欧州の超党派国会議員が地球環境国際議員連盟を結成することになった。当初、欧米の国会議員でスタートすることになっていたが、米議員団から「経済的にも技術的にも進んでいる日本も入れるべきではないか」との意見が出て、日本も加わることになった。加入勧誘のために来日したのがジョン・ハインツ米上院議員(食品会社社長)だった。
環境庁(当時)を訪れ「ふさわしい議員を紹介して呉れ」と頼み、その結果、私の所にやって来た。「是非日本に参加して欲しい」と云うので仲間とも相談し、快諾した。

この組織は“ GLOBE ”GLOBAL LEGISLATORS ORGANIZATION FOR BALANCED EMRIRONMENT と命名した。ワシントン・ブラッセル・東京に拠点をおき、夫々の地域にGLOBE を設けた。当時GLOBE INTERNATIONAL総裁は、のちに第45代アメリカ合衆国副大統領となる米上院議員だったアル・ゴアさんだった。

そのゴアさんが出版したのが『 EARTH IN THE BALANCE 』だった。ゴアさんの基本政策が網羅され、環境問題に限らず安全保障・宇宙・科学等について、歴史も含め哲学的な考察を取り入れたものだった。彼は各分野の専門家のブレーン40人ほどと協議した上で書き上げた。全米で話題の書となり爆発的に売れベストセラーとなった。

1990年のGLOBE INTERNATIONAL 総会がWASINTON で開かれた際、ゴアさんから「今度この本を出版した」と手渡された。私は「この本を日本語に訳して良いか?」と尋ねると「勿論OKだ。光栄だ」と快諾してくれた。その後間もなくクリントン大統領の副大統領候補に指名された。相手のブッシュ陣営にとっても手ごわいコンビとなった。

さて、翻訳に取り掛かってみるとこれがなかなか苦労した。彼は大学卒業後に新聞記者をしていただけあって、語彙が豊富で同じ単語を色々な単語に代えていて、辞書と首っ引きとなった。私も現役国会議員として多忙を極めていたため、翻訳には半年を要した。徹夜国会になった時は、周りが居眠りしている最中も審議のあい間に赤ペンで原稿の修正をおこなった。

完成したのが『地球の掟-文明と環境のバランスを求めて-』だ。出版された『地球の掟』は、書店で平積みに並べられた。『地球の掟』は、原著に劣らず良く売れて、ベストセラーが6か月も続いた。全国の大学や各地の図書館が購入して呉れたのだ。

1993年、ゴアさんはクリントン大統領の下で副大統領となり、2001年まで2期8年を務めた。2000年の大統領選挙で惜敗したが、長年に亘る活動が評価され2007年にノーベル平和賞を授与された。私は現役引退後もゴアさんとの交流は続いた。

小杉 隆  アル・ゴア 米国元副大統領
[ 2017年11月 衆議院第一議員会館 国際会議室にて ]

今や、気候変動問題が世界の関心事となっているが、それだけ地球環境が悪化している証左だ。早くからゴアさんも私達GLOBEも警鐘を鳴らし続けて来たし、G7やG20 でも俎上にも上がった。

[ 『地球の掟』新装丁版 ]

2021年10月31日から11月13日まで国連気候変動枠組み条約締約国会議COP26が英国グラスゴーで開かれた。日本は、岸田首相が水素やアンモニアの利用による火力発電のゼロ・エミッションを表明したものの石炭をはじめとした火力発電の維持を表明したことから不名誉な化石賞が与えられた。日本のエネルギー政策は、世界から大変厳しい目で見られているが、日本の技術と戦後日本を復興させた日本人の底力を発揮して、世界を引っ張っていくリーダーとなって欲しい。

[ アル・ゴア氏から手渡された『EARTH IN THE BALANCE』と『地球の掟』]
[ 2021年10月 国際環境政策研究所 虎ノ門事務所にて ]

【参照サイト】 ダイヤモンド社『地球の掟』
【参照サイト】 GLOBE International